【楽屋ニュース】東京・銀座芸人だった千葉公平が、大阪で人気新喜劇座員になるまで。

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【楽屋ニュース】東京・銀座芸人だった千葉公平が、大阪で人気新喜劇座員になるまで。 楽屋ニュース(よしもと)
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昨年から実施され好評を呼んだ、「吉本新喜劇座員総選挙」が今年も現在投票実施中です。

この総選挙は、吉本新喜劇の座員の中からファンが投票を行い、ランキング1位を獲得した座員が特別座長として公演を行うというもので、昨年はアキさんが1位を獲得しました。

その後アキさんは今年新喜劇のレギュラー座長に正式に就任し、活躍されていることからも、特に若手座員は総選挙で上位を目指すのは必然と言えるでしょう。

そして、今年の総選挙投票順位の中間発表が7月7日に行われましたが、そこで千葉公平さんが3位の結果となりました。関東のお笑いファンにはこの名前は馴染みはないかもしれませんが、元「ハローバイバイ」のメンバーといえば、ピンとくる人はいるのではないでしょうか?

関西出身の座員が大多数を占める吉本新喜劇ですが、その中で千葉さんは千葉県出身。関東出身の座員が本場大阪の新喜劇の人気上位を獲得するのはかなりすごいことなんです。

特に昨年ごろからは、若手座員の中でもキャラクターの立つ脇役としての新喜劇の活躍も多く、SNSなどでの積極的な活動もあり、ファンを増やしたことが評価されているようです。

そんな千葉さんが新喜劇で活躍するまでの経緯を振り返ってみましょう。

千葉公平のプロフィール

千葉公平」という名前は一見本名っぽいですが、実は芸名であり、本名は「金成公信(かねなりきみのぶ)」さんといいます。

元々は東京NSC2期生で、当時は同じ調理師学校の友達だった関暁夫さんと「ハローバイバイ」を結成し、コントを中心に東京・銀座7丁目劇場でデビュー。
その後ルミネtheよしもとの舞台などをメインに活動しました。

テレビではTBS「新すぃ日本語」やテレビ朝日「笑いの金メダル」などのテレビにも出演。
ルミネtheよしもとなどの劇場でもコンビで舞台数を重ねており、ファンからの人気もありました。

東京での活動の変遷

その後、ハローバイバイとしてのテレビ出演が伸び悩んでいた中、2005年ごろから相方の関さんが「やりすぎコージー」などの番組で、

「信じるか信じないかはあなた次第です」

という決め台詞で都市伝説の語り部として出演し、「Mr.都市伝説」として一躍人気になりました。

関さんの都市伝説の出版本は約80万部売れるなど、新たな「都市伝説ブーム」の火付け役になり、その後も都市伝説やオカルト系の番組や書籍に多数出演・執筆しました。

一方で、それ以降からハローバイバイとしてのコンビ活動は減少していき、最終的に2009年12月にハローバイバイは解散。

その後、金成さんは元「ガラクタパンチ」の菊池健一さんと「ギンナナ」を2010年に結成し漫才師として活動を始めました。

結成初年の2010年のM-1グランプリには準々決勝に進出するなど、漫才師としても評価を得つつ9年間活動するも、相方の菊池さんの海外移住により2019年に解散することとなりました。

新喜劇入団から現在の活躍まで

ギンナナ解散後の2020年、東京を拠点としていた芸人としては珍しく、大阪に拠点を移し、吉本新喜劇に入団することを表明しました。

この時に本名の「金成公信」から、現在の芸名「千葉公平」に改名しました。

これは、間寛平さんから名付けられたものです。間寛平さんから3つの芸名を提案され、その中から選んだものです。千葉県出身にちなんだ「千葉」に、本名である「公信」の「公」と間寛平さんの「平」を足して「公平」になったのです。

新喜劇に入団を考えたきっかけは、東京で共演した間寛平さんの新喜劇の舞台に衝撃を受けたからとのこと。

東京での新喜劇に千葉さんが出演した際、千葉さんがチンピラ役で寛平さんがおじいさん役のコントをした時に、半分アドリブだけで次々と寛平さんがボケを繰り出し観客に大ウケしたそう。それが楽しくなり、そんな寛平さんを生んだ新喜劇がどういうものかを知りたくなったとのことです。

その後、くっきー!さんらの薦めもあり、当時座長を務めていた小籔千豊さんとも相談の末、千葉さんは新喜劇入りを決め単身大阪に移住します。

そこで西成区の廃墟寸前のボロ家を買い、「西成ハウス」と名付け、住みながらDIYによる修繕を始めました。その様子はYouTubeやTwitterなどで配信しています。

今でこそ若手リーダー制や、帰国子女や外国人の座員など、多様化している吉本新喜劇も、当時はそうした流れがまだまだ定着しきっていなかった頃。千葉さんも芸人としてのキャリアは他の新人座員よりは長かったとはいえ、これまでの漫才やコントとは勝手の違う新喜劇の舞台に苦戦します。

千葉さんは新喜劇の入団当時で学んだことをこう語っています。

―その後、3月のNGKの舞台も決まっていたのに劇場が閉館に。

初舞台に立ったと思ったら、自粛になっちゃって…。でも、僕の中ではプラスに考えて、デビューは出来たからギリギリセーフ、と思って。それでもNGKの舞台がなくなって不安な時に、大輔さんがほんとにいいタイミングでLINEをくれるんですよ。「今は不安かもしれないけど、お前だったら大丈夫だから」って。すごい感謝してますね。

(中略)

―舞台に出られるたび、「勉強になる」と思われるところとは?

オープニングでのくだりは、東京でやったことなかったんです。東京の舞台では芸歴も重ねてたんで、最初からある程度出番があったし、説明ゼリフとか任されちゃって、セリフ量が多かったんですよ。こっちへ来て、オープニングの3~4分でどう盛り上げようか考えるのは刺激的で、そこに使っていただいたのがありがたかったですね。

(お客さんを温める意味でも、オープニングは重要ですね。)

重要ですよ。すごい勉強になりました。ひとボケ、ふたボケの中で、収録に向けて、みんなボケ変えたり、言い回しを変えたりしてるのを見て、ここで鍛えあってるんだな、というのがわかったのも勉強になったし。

引用:千葉公平 | 座員紹介 | よしもと新喜劇 | MBS 毎日放送


千葉さんの新喜劇デビュー当初はコロナウィルスの流行が本格化した時期でしたので、十分な集客もできない中で新喜劇を行うのは難しい状況だったかもしれません。しかし、これまでの芸歴の中で得られた芸人仲間の支えがあったからこそ、単身大阪の地でも頑張ってこれたのかもしれませんね。

2022年頃から、徐々に本公演の脇役を中心に出演本数も増えていき、ツッコミもボケもどちらもこなす役としても定着していきます。

単身大阪で吉本新喜劇に飛び込み、現在は中心的座員の一人となった千葉さんの活躍はさらに評価されるべきです!

今後の活躍に期待

ハローバイバイ時代から応援していた東京のお笑いファンは、こうした形で千葉さんの活躍が目に入ったのは嬉しいでしょう。
過去、関東出身で新喜劇のレギュラー座長を務めた人はこれまでいませんので、将来的にそうした道があれば何よりです!

千葉さんの今後の活躍に期待しましょう。

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